国府から府中へ
鎌倉に幕府ができると、府中を経由して北関東へつながる鎌倉街道上道が整備されました。奈良・平安時代に国府が置かれた府中は、地方政治や文化拠点としての地位を保ち続けました。 「府中」という地名が誕生したのはこの頃のことですが、西暦1333年に鎌倉街道上道を南下してきた新田義貞軍と鎌倉幕府軍が、分倍河原で大きな合戦を繰り広げるなど、府中はたびたび合戦の場ともなりました。
このコーナーでは、六所宮(現 大國魂神社)や高安寺といった社寺の文化財、そして遺跡の出土品などを通じて、中世府中の様子や、人びとの信仰、府中を舞台とした合戦について紹介しています。市内の発掘調査で見つかった、9万枚の銅銭が詰まった大甕は圧巻です。