復元建築物
復元建築物の選定と配置計画
昭和36年、市制10周年記念事業として開始された府中市史編さん事業で、現存する草葦(くさぶき)民家の悉皆(しっかい)調査が実施され、その成果を『府中市史近代編資料集1』として刊行。また町屋や公共建築物の調査も、並行して行われました。
昭和55年「府中市郷土の森建設基本計画」がまとまり、その中で農家5棟、町屋相当数、公共建築物4棟の復元が計画されました。昭和56年1月の郷土の森築造開始後も、草葦農家は急速にその姿を消していきます。そのような状況の中、最終的に公共建築物3棟(旧府中町立府中尋常高等小学校・旧府中町役場庁舎・旧府中郵便取扱所)、農家2棟(旧河内家住宅・旧越智家住宅)、町屋2棟(旧田中家住宅・旧島田家住宅)、ハケ上とハケ下の農家などを府中の地形の特徴を表現した郷土の森敷地に配置する計画をたて、1期・2期工事に分けて復元することになりました。その後、旧三岡家長屋門を加え、復元建築物8棟が郷土の森に復元され、現在に至っています。市内遺跡の発掘成果を採り入れた遺構の復元も合わせて計画、実施されました。
旧府中尋常高等小学校校舎
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- 建築面積: 326.48m2
- 延床面積: 635.51m2
- 規 模: 地上2階建
- 構 造: 木造 瓦屋根
- 旧所在地: 府中市寿町2-6
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この校舎は、昭和10年9月に現在の市立第一小学校の場所に建設され、以後昭和54年の新校舎建築に伴って取り壊されるまでの間、親しまれてきました。バルコニーを持つ木造2階建てで、一般教室35室、特別教室4室、来賓室、応接室、教員室からなり、延床面積は5,870m2に達し、当時北多摩郡随一の規模を誇っていました。移築復元したのは、このうちの中心部分のみです。近代教育のあゆみの展示や昔の教室の再現など、教育資料館の機能を持たせるとともに、平成7年度からは「多摩川ふれあい教室」も開催しています。また、府中ゆかりの詩人、村野四郎の記念館を1階に併設(平成15年2月15日開館)。
旧田中家住宅(府中宿の大店)
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- 建築面積: 537.84m2
- 延床面積: 731.45m2
- 規 模: 平屋建(一部地上2階建)
- 構 造: 木造 鉄筋コンクリート 瓦屋根
- 旧所在地: 府中市宮町1-8
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田中家は幕末から明治にかけて、府中宿を代表する商家です。明治天皇の休憩所や宿所として利用されたこともあり、その御座所として使われた奥座敷部分が残されていました。そこで、当時の屋敷図や写真資料により復元設計がされ、屋敷全体を復元しました。現在、表店(おもてみせ)部分などを休憩所やそば処として利用するほか、座敷の一部は貸出もしています。『旧田中家住宅調査報告書』参照。
※3月25日(木)〜28日(木)は修理工事のため、一部立入り禁止となります。ご了承ください。
旧島田家住宅
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- 建築面積: 71.61m2
- 延床面積: 187.29m2
- 規 模: 地上2階建(屋根裏付)
- 構 造: 木造 (店蔵造り)瓦置き屋根
- 旧所在地: 府中市宮町2-1
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島田家は旧甲州街道・府中新宿の商家です。移築・復元したのはその店蔵(みせぐら)部分で、明治19年(1886)から足掛け3年の歳月をかけて建築されました。同家には、この店蔵の普請帳が残され、建築の実態を詳細に知ることができます。復元にあたっては、この普請帳を参考にしながら伝統的な方法を再現し、同じく足掛け3年をかけて完成させました。『旧島田家住宅(店蔵)移築修理工事報告書』参照。
※3月25日(木)〜28日(木)は修理工事のため、一部立入り禁止となります。ご了承ください。
旧府中町役場庁舎
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- 建築面積: 173.07m2
- 延床面積: 278.07m2
- 規 模: 地上2階建(一部平屋建)
- 構 造: 木造 瓦屋根(一部銅板屋根)
- 旧所在地: 府中市宮西町1-8
- 指 定: 東京都指定有形文化財(昭和62年2月指定)
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府中市は昭和29年4月に府中町・西府村・多磨村の1町2村が合併して誕生しましたが、この建物は大正8年(1919)から3か年計画で建築され、同10年に竣工した府中町役場です。ドーマウィンドウなど洋風を多く取り入れながら、裏側に和風建物が接続する特色のある建築で、当時の大正デモクラシーの雰囲気を伝えてくれます。
府中市制以後も市役所、市立図書館、教育研究所等に利用され、昭和59年解体、61年に竣工当時の姿に復元しました。多摩地区に現存する最古の役場建築で、大正時代の建物としては東京都指定の第1号です。『旧府中町役場庁舎移築修理工事報告書』参照。
旧府中郵便取扱所(旧矢島家住宅)
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- 建築面積: 66.93m2
- 延床面積: 126.42m2
- 規 模: 地上2階建
- 構 造: 木造 銅板屋根
- 旧所在地: 府中市宮西町4−11
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日本の近代郵便制度は明治4年(1871)、郵便規則の制定と郵便切手の採用によってスタートしました。これに基づいて翌5年3月、府中では当時府中番場宿の名主兼問屋の矢島九兵衛が郵便取扱役に任命され、その居宅が郵便取扱所に当てられました。移築復元した矢島家住宅がこれで、建築年代は幕末から明治初頭(5年以前)の間と推定されています。昭和60〜61年の解体に至るまで、増築や代々の当主の職業によってその都度改造されてきましたが、府中宿での近代化を物語る郵便取扱所として復元しました。『旧府中郵便取扱所(旧矢島家住宅)調査報告書』参照。
旧河内家住宅
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- 建築面積: 87.54m2
- 延床面積: 87.54m2
- 規 模: 平屋建
- 構 造: 木造 茅葺き屋根
- 旧所在地: 府中市若松町3−34
- 指 定: 府中市指定有形文化財(昭和58年5月指定)
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河内家は、市東北部にある浅間山の南を東西に走る人見街道に面した旧人見村にありました。移築した母屋はハケ上の農家としては一般的な造りですが、旧大沢村(三鷹市)から天保15年(1844)に移築されていることが、解体時の調査で明らかになっています。昭和58年に解体されるまでの間には度々改造が加えられていましたが、復元にあたっては創建当初の形とはせず、府中で養蚕が盛んであった様子を知る手掛かりとするため、明治後期の姿としました。『旧河内家住宅移築修理工事報告書』参照。
旧越智家住宅
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- 建築面積: 65.00m2
- 延床面積: 65.00m2
- 規 模: 平屋建
- 構 造: 木造 茅葺き屋根
- 旧所在地: 府中市南町6−46
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越智家は、郷土の森の敷地の西隣の旧芝間にありました。色紙型敷地を持つハケ下の一般的な農家で、その母屋は、旧坂浜村(稲城市)から明治22年(1889)に移されており、創建は江戸時代後期に遡ると推測されます。この建物も長い年月の間に改造・増築を繰り返していましたが、郷土の森では創建当初の姿に復元しました。
旧三岡家長屋門
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- 建築面積: 79.63m2
- 延床面積: 44.11m2
- 規 模: 平屋建
- 構 造: 木造 茅葺き屋根
- 旧所在地: 府中市是政1−15
- 指 定: 東京都指定有形文化財(平成7年3月指定)
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三岡家は、江戸時代後期に旧是政村の村役人を勤めた家柄で、移築した長屋門は、その分家に建てられていたものです。中央部を門とし、その両側に部屋を設けた長屋門の一般的な形式をとっていて、多摩地区では標準的な大きさといえますが、両側の部屋を総塗込め蔵造りとし、置き屋根形式を採用している点で類例の少ない長屋門です。移築にあたっては創建時の姿に復元しました。平成4年に府中市指定文化財、7年には東京都指定文化財となりました。『旧三岡家長屋門移築修理工事報告書』参照。
まいまいず井戸
まいまいず井戸とは、地面を大きくすり鉢状に掘りくぼめ、その底面から掘り抜いたものです。「まいまい」はかたつむりの別名で、すり鉢状の窪みの斜面を螺旋状にくだって水を汲むことから命名されたと思われます。その分布は、武蔵野台地や伊豆諸島に集中し、地下水位の低い環境で生み出された形式と考えられ、地域によっては昭和30年代まで利用されていました。復元した遺構は、平安時代のもので、くだる道こそ確認できなかったものの、その形状や規模からまいまいず井戸のルーツと推定されます。復元にあたっては、羽村市五ノ神の事例を参考とし、螺旋状の道を敷設しました。
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